「見た目がすべて」と言われる社会で
今や、「人は見た目が9割」とさえ言われる時代。
第一印象、採用面接、SNSでのプロフィール写真、日常の人間関係に至るまで、外見の印象が“評価基準”となる場面が急増しています。
清潔感や雰囲気、服装や髪型だけではありません。
「あるべき形がない」「見慣れたかたちと違う」──そんなわずかな違いが、偏見や無理解、無意識の差別を引き起こす土壌となっているのが、今の社会です。
事故や病気、あるいは生まれつきの理由によって、指や耳、胸などの身体の一部に“変化”や“違い”を抱えることは、決して珍しいことではありません。
しかしその見た目の違いに対する社会の理解は、いまだに「配慮」や「共生」のフェーズに届いていません。
「隠すべきもの」とされたり、好奇の目で見られたりすることで、当事者自身が強いコンプレックスを抱え、人との関わりを避けるようになる現実があります。
外見の喪失は、外見だけの問題ではない
外見の喪失は、単なる“身体の変化”ではなく、自己表現・人間関係・社会参加の制限として現れます。
たとえば——
- 「人前で手を出せない」
- 「視線が怖くて笑えない」
- 「新しい人と目を合わせられない」
その背景には、周囲の視線や何気ない言葉、制度の空白、支援策の未整備があります。本人の努力ではどうにもならない「社会側の壁」が、孤立を深めているのです。
外見とは、ただの飾りではなく、社会の中で自分を定義する「顔」であり、他者とつながるためのインターフェースでもあります。
つまり、外見の違いがあることで、「働く」「学ぶ」「つながる」といった基本的な社会参加が難しくなることは、構造的な課題なのです。
支援制度の空白と、社会的無関心
私たちが向き合うべきなのは、「外見の違い」そのものではありません。
問題はむしろ、
- 支援制度の空白
- “治療(医療)でも美容でもない”ケアの選択肢の不足
- 無意識な差別や偏見
といった、“制度”と“文化”の側の整備不足にあります。
これは当事者一人ひとりの努力ではどうにもならない、雇用・教育・地域・医療の全領域にまたがる社会全体の課題です。
医療でも美容でもない、“もうひとつのケア”という選択肢
外見に関わる悩みの多くは、医療保険や福祉制度の適用外です。
また、美容領域では“演出”や“装飾”として処理されがちですが、
エピテーゼ(人工ボディパーツ)の役割はそれとは異なります。
化粧が「自分らしさを演出する行為」ならば、
エピテーゼは「自分らしさを取り戻す行為」
つまり、喪失した外見を補完し、「社会と再接続する勇気」を取り戻すための行為です。
エピテーゼは、指・耳・胸などをリアルに再現し、
「人と会う自信」「外に出る勇気」「普通にふるまえる安心感」を取り戻す、社会参加支援型の外見ケアです。
外見ケアがもたらす“社会的インパクト”
たとえば——
- 乳がん術後の方が、温泉や入浴施設に再び通えるようになった
- 指を失った方が、人目を気にせず外出できるようになった
- 指先や足先のエピテーゼにネイルを施すことで「おしゃれ」が楽しめるようになった
こうした体験は、「見た目の回復」というよりも、“人としての尊厳を回復するプロセス”そのものです。
実際に、外見が整ったことで——
- 家族との関係が穏やかに
- 就労意欲が戻り
- 地域や社会との接点が生まれる
という変化を経験した方も多くいらっしゃいます。
支援とは、お金や制度だけではなく、“再び社会とつながる入口”を届けることでもあると私たちは考えています。
誰ひとり取り残さない、インクルーシブな社会へ
外見に関する悩みが、本人の責任や美意識の問題として片づけられてしまう社会では、変化に向き合う勇気を持てない人が増え続けます。
私たち日本エピテーゼ協会は、“見た目に悩む人が希望を持てる社会”を、制度と文化の両面から実現することを目指しています。
- 医療と福祉の“はざま”にある人たちへの支援
- 当事者・家族・地域が一緒に変われるケアの提案
- 支える側(技術者・団体・自治体)の育成とネットワーク形成
そして今後は、企業・自治体・教育機関と連携しながら、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)を“見た目”の視点からも再定義していく段階に入っています。
外見ケアは、社会包摂のインフラです。
制度ではなく“文化”として根づかせていく必要があるのです。
ご相談・お問い合わせ
日本エピテーゼ協会では、以下のような連携を広く受け付けております。
- 講演・研修のご依頼
- 展示・CSRイベントへの出展協力
- 教育・地域連携プログラムの設計
“外見と心をつなぐケア”を、次のステージへ。
ともに、「誰も取り残さない社会」を築きませんか?
コメント